はじめてラフィンのサイトにお越しになった方へ

ラフィンダイビングスクール/SNSI公認インストラクタートレーナーの
池田と申します、はじめまして(一番右の大きなピンクをかかえている者です)。

私たちは元予備校講師の提供するわかりやすい指導法による
19年4200名様以上の認定実績で、
お客様リピート率連続日本一など11年連続受賞
の表彰を
いただいた”毎日夏やすみ”を合言葉にしている爆笑ダイビングスクールです。

ラフィンのサイトをよく見つけていただきました。
いつかスキューバやってみたい!と長年温めてた方も
初めてのことで「???」だらけな方もいらっしゃるでしょう。

何らかの目的でダイビングの世界にご興味を持ち、
そして今後どんな可能性が広がっていくかご関心をお持ちのことと思います。

リモートワークの推進で現代人の生活はさらに閉じこもり、
年々アウトドアの需要が高まっていると言われています。

日常・ビジネス・趣味。
どれが欠けても心身ともに健康な生活は送れないことを、
すでに多くの方が肌で感じていることと思います。

(お客様に撮っていただきました。ギンガメアジの群れにつっこんでます)

あなたの人生を変えた転機って、いくつありますか?
今思うと、僕には3つありました。

小学生の頃、「将来の夢」を書く授業がありました。
クラスメイトは、スポーツ選手や、親御さんの職業を書いたりしていました。

僕の父親は手先が器用で、
ドアや障子を作る建具屋という木工職人でした。
残念ながらその才能を受け継がなかったので、
「宇宙飛行士」と書きました。

選ばれた人だけが行ける、未知の世界への探検。
まだ見ぬ宇宙人や隕石、説明がつかない物理法則を発見し、
そして持ち帰る。
そんな夢を書きました。

実際はそこまでなりたかったわけじゃなくって、
同級生の石田くんが「一緒に宇宙飛行士って書こうぜ」
って誘ってくれたから書いただけです。

今思うと、僕の人生はこの一言がスタートです。

(マレーシア・シパダン島にて)

2つ目の転機

その頃の僕は将来何をしたいのか、
まったくわからないまま、
「苦手な数学が受験科目にない」という理由だけで
学校の先生向けの教育学部しかない大学に進みました。

人生を送る目的も方向も手段もわかりませんでした。
だから就職活動もできず
バイトであった予備校講師が、
卒業後もそのまま仕事になりました。



美大とか芸大に行きたい子たちのための、
小さな予備校でした。

出来た、理解ったの瞬間、
彼らが見せる笑顔がすごく嬉しかった。

こちらの教え方を変えると、
彼らの理解のスピードも変わったことに驚きました。



「伝える」ということに技術が必要
ということを知れたことは大きく、
何より、自分が伝えることで、
他者に喜んでもらえるという手応えがたまりませんでした。


「人に何かを伝える」という道を今思えば、
この時から歩み始めていました。

しかし、確かに楽しい仕事ではあるけど、
そんな刹那的な感情でずっと続けていってはいけないな、
でも受験勉強以外に何を伝えたら良いかわからないな
って悶々としてたある日。

友達のシゲが
僕に人生2つ目の転機をくれました。

「小笠原で漁師を募集してるらしいよ」

今考えてもよくわからないんですが、
たしかに稲妻が僕の頭に落ちました。


それで島の漁協の番号調べて、
勇気を出して電話しました。

ダイヤル式の公衆電話、
長い市外局番でした。

今でも覚えてます、04998。

僕「あの、漁師募集と聞いたんですが・・。」
漁協の人「いいえ、してません」

・・・秒殺。

いつもの僕ならそこで諦めるんですが、
この時は何故か食い下がりました。
未体験の世界に行きたかった。
何かに呼ばれている気がした。

僕「未経験者でも出来る仕事はないですか?」
漁協の人「あー養殖の方ならバイトがあるかな」

翌週僕は、小笠原行きの船の上にいました。

島についたら「ギョサンをコイワイで買ってこい」と呪文を言われて、
海パン1枚で小さなボートで沖に浮かんだ養殖場に連れて行かれました。

飼ってるのはマダイ、シマアジ、カンパチ、
それと葛西臨海水族園で展示するウメイロモドキが少しでした。
たしか。

(小祝商店はこの通りにありました、というか今もあるはず)

シマアジの親魚は釣りキチ三平の
どこぞの主のようにでかいし、

マダイは餌をあげるだけ食い続けて
終わりのタイミングがわからないし、

休憩中(と言っても生け簀の上なんですが)
釣りをするとハリセンボンがかかるし、
水音で振り返るとでっかいエイが現れるし。

みんなマンタだ!って騒いでたけど、
その頃の僕はマンタという単語すら知らなかった。

休日に沖へ遊びに連れてってもらい
港でた途端にイルカ群れに囲まれて。

ただただ驚き、そして決めました。
「海すげぇ。海で僕は生きたい。」

(初めて見る野生のイルカ、感激したなぁ)

海を仕事場にするようになって、
以来20年以上が経ちますが振り返ると
「自分の心が喜ぶことをする」
という考え方は正解だったと思っています。


こうしてきた理由は明確です。

「充実させるべき自分の命の時間には、限りがある」からです。

そして僕は文集に書いた夢、
宇宙飛行士になる道を歩み始めます。

ダイビングとの出会い

内地に戻り、どうしたら島生活ができるか考えました。
島はとにかく娯楽が少ないのがつらそうだったので、
マリンスポーツを趣味にしようと考えました。


ドルフィンスイムのときに
息が続かなくて苦しかったことを思い出して、

「スキューバダイビングならできるかな?」と考え、
ダイビング屋さんにCカードを取りに行きました。

でも僕はダメ人間でした。
水が怖かったんです。

鼻から塩素の味する水いっぱい飲んで、
「池田くん、しょぼいからもう1日プールやろう」
って言われました。

そして3つ目、最大の転機が訪れました。

「あれ?ダイビング教えてる人がいるじゃん!!」

僕はダイビングインストラクターという手段をついに見つけました。
1997年のことです。



最初は「おまえにはまだ早い」と言われるポイントばかり。

はやく上級者ポイントに潜らせてもらいたくて、
海に通い続けました。

今考えるとあまり練習したって
自覚はなかったかもしれません。
楽しくて楽しくて。

突き落とされた激流の海、
オーバーヘッドの波、
大物に遭遇して絶叫して、
洞窟と光のシャワーを浴びて、
小さい命のひたむきさに心わしづかみにされて、
自然の造形美に感心して、

好きなことだけで繋がった
年齢も職業も違う人たちとゲラゲラ笑い合う。

僕の宇宙は、どこかの社長が開発した
ロケットのように莫大なお金は不要です。

宇宙船に閉じ込められたまま、
無機質なモーター音を聴きながら、
分厚いアクリル板の向こうに広がる空間を
ただ眺めるだけではありません。

エキサイティングな無重力状態での船外活動もできます。

見たこともないヘンテコなデザインの
宇宙人とも遭遇しています
(あ、「タコみたいな宇宙人がいる!」とあなたが思うであろうそいつは、おそらくタコです)。

「こっちの世界に、ようこそ」

海中は器材がないと呼吸すら出来ない
という点では、宇宙と同じです。

NASAの宇宙飛行士は大きなプールにセットを組んで、
船外活動の練習をしているほどです。


プールで塩素の水を味わいまくったあの日から、
あっという間に20年以上。

僕は海という宇宙を知って人生が変わりました。

海を通じて「ダイバーというライフスタイルの素晴らしさ」
をお伝えする側になり、

「ダイビング、楽しいよ!」だけじゃなく、
「ダイビングで気づくこと、日常に活かせるよ!」

と、もっといい指導法を追求し
(父親の職人魂を受け継いでいると気が付きました)、


いろんな失敗を糧にしながら、
自分のスクールを経営できるようになりました。

僕も最初はここまでハマるつもりはありませんでした。

「宇宙飛行士って書こうぜ」と誘ってくれた石田君。
「小笠原で漁師募集してるらしいよ」と教えてくれたシゲ。


彼らの一言がなければ、僕はこの道に反応しなかったはずです。
本当に感謝しています。

月並みな言い方ですが、
大事なことはみーんな海や自然が教えてくれた気がします。

それをお伝えすることで、
彼らのように「誰かの人生のプラスになれる存在」になりたくて、
僕は伊豆でダイビングスクールをやっているのかもしれません。

あなたもダイバーになりませんか?
こっちの世界に、ようこそ。

「よりラフィンを知りたい」

初心者ライセンスコースを知りたい

2年連続「新規ダイバー認定数」全国1位!
2年連続「お客様リピート率」全国1位!
2年連続最優秀インストラクター全国1位!
「プロフェッショナル認定数」全国2位!
に表彰していただきました

*お客様一人あたりのスキルアップコース参加回数の多さで競う「お客様リピート率」部門で、当スクールが2年連続で全国1位の表彰をいただきました。

*新規ライセンスコース認定人数の多さを競う「NEW DIVER認定数」の個人部門で、2年連続で全国1位の表彰をいただきました。

*プロフェッショナルコース認定人数の多さを競う「PROFESSINAOL認定数」個人部門で、全国2位の表彰をいただきました。

*全てのランクの認定人数の多さを競う「総認定数」個人部門で、2年連続で最優秀インストラクター全国1位の表彰をいただきました。

「海と人とのつながり」だけでなく、同じ価値観をもつ「人と人とのつながり」の最良の場でありたいと考えてる私たちにとって価値のある賞を、しかも2年連続でいただけたのは、当スクールのお客様お一人お一人が真摯に海に向き合っているからに他なりません。もっと「海が楽しい!」と思って頂けるよう、よりよいスクール環境を向上させていきます。

(リピート率81,2% 2020年現在)

2005年 伊東市伊豆高原にて開業
2011年 業務拡張のため現在の場所に移転
2012年 お客様リピート率全国3位表彰
2013年 SSI公認インストラクタートレーニングセンター認定
2014年 お客様リピート率全国1位表彰
前年度比成長率部門:全国1位表彰
スキルアップ講習開催回数部門:全国6位表彰
2015年 お客様リピート率部門:全国1位表彰(2年連続)
総合認定数個人部門:全国3位表彰(イケダ)
日本人3人目のプラチナプロ5000インストラクター認定(イケダ)
2016年 新規ダイバー認定数ダイブセンター部門:全国3位表彰
最優秀インストラクター部門:全国1位表彰(イケダ)
新規ダイバー認定数個人部門:全国1位表彰(イケダ)
2017年 新規ダイバー認定数個人部門:全国1位表彰(イケダ2年連続)
最優秀インストラクター部門:全国1位表彰(イケダ・2年連続)
プロランク認定数個人部門:全国2位表彰(イケダ)
5月「株式会社ディープルーツ」法人登記
「ラフィンダイビングスクール(laughin' diving school)」店名変更
SNSIに移籍、公認インストラクタートレーニングセンター認定
2018年 SNSIナショナルカンファレンスにて優秀賞受賞
2019年 SNSIナショナルカンファレンスにてプラチナ優秀賞受賞
2020年 SNSIナショナルカンファレンスにてプラチナ優秀賞受賞
2021年 SNSIナショナルカンファレンスにてプラチナ優秀賞受賞
2022年 SNSIナショナルカンファレンスにてプラチナ優秀賞受賞
2023年 SNSIナショナルカンファレンスにてプラチナ優秀賞受賞
現在まで10年連続受賞、18年間無事故、4000名様以上の認定

(表彰は指導団体SNSI、SSIより)

震災復興支援に対して
岩手県山田町・佐藤町長様から感謝状を頂きました!

岩手県の海中瓦礫を引き上げるボランティア活動に毎年2回プロダイバーを派遣しています。 東日本大震災が起きた2011年8月から継続的に行っている、指導団体SSIとNPO法人ブルーサポートいわて主催での「震災復興支援ダイビング活動」に対して、2013年岩手県山田町・佐藤町長様から感謝状を頂きました。今後も一層貢献できるスクールでありたいと思っています。

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